支配する必要性
憎悪で満たされた生
合法化された暴力
憎悪犯罪の進行
フィルスキック・ファッカー.. 憎悪犯罪の進行
フィルスキック・ファッカー.. 憎悪犯罪の進行
奴らの暴力の中の権限
悪用と奴隷
法律が支配を握るとき
憎悪の判決だ
おまえの自由を哀れむよ
憎悪が法律であるとき
正当化だ
不当な力のな
"警察官は、平和の番人や公共の保護者としての地位を非常に重視するが、時々、その地位に疑問を持つ市民や集団を撲殺することで知られている。" - D. Mamet
警察は、国家の合法的な政府機関として構成される。そして、制度として、社会の末端で生きる者に対する国家の態度ゆえに国家管理を反映させ、膨らませる。奴らは、社会結合のための従業員ではなく、国家管理や国家偏見のための執行人として使われるのだ。国家が警察の違法な行為を覆う道具として使用する場合、警察の暴力や残虐さが社会を混乱させる人々に対する攻撃として国家によって正当化される場合、この役割が拡張される。
This song was taken from split LP/CD with T.R.I.B.E.

もう言うまでもないだろう。これが警察の真の役割だ。これでもまだ、警察に対して少しの期待も寄せるなら、俺/私たちは自問しなければならないことがある : 「パンクスと警察のどちらの言葉を信じるのか?」あるいは「パンクスと警察のどちらの側に立つのか?」。
警察の中には、「良い警官」もいると考える人もいるかもしれない。しかし、いわゆる「良い警官」が仮にいたとしても、その「良い警官」は、俺/私たちが、たとえばパンクスのような近いところに存在する「仲間」であってもイマイチ信用できない、という感覚の作為に利用されるだけである。警官に対する「悪い人間ばかりじゃない」という揺さぶりだ。そこに、俺/私たちの言葉や考えよりも、合法的な警察が常に上と言ったような、奴らによってこの社会制度に築き上げられ、俺/私たちの頭に刷り込まれた「合法」への完全な従順 = 奴隷根性が加わって、「警察の言うことなら」という態度になる。それこそが、俺/私たちの間の不信感をつくりあげている。つまり、「良い警官」とは、この曲で唄われているような警察の真の役割を実行するための準備要員にすぎない。「良い警官」などいない。すべての警官はクソ野郎だ。
そのことを踏まえて、もう一度問いたい : 「パンクスと警察のどちらの言葉を信じるのか?」あるいは「パンクスと警察のどちらの側に立つのか?」。
RUIN


(Left : LP version)
(Right : CD version)
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